コラム :最近の環境の話題を追って

 

京都議定書からパリ協定までをふりかえる

2016年12月12日

温暖化対策議論の実相

 わが国では小学生でも地球温暖化が起こる仕組みを知っていますが、温暖化問題に人類がどのように立ち向かったらよいのか?の議論になると、これほどわかりにくいものはありません。なぜわかりにくいのか説明することすら容易ではありません。
 とりあえず、 温暖化対策を巡る内外の議論をざっと眺めてみましょう。
 温暖化対策の国際的な枠組づくりに関する外交交渉の場では、「共通だが差異のある責任論」、「予防原則」、「島しょ国や乾燥地域の脆弱な国々のみならず産油国の持続可能性への配慮」などが基本ルールになっています。南北世界の主張の隔たりが交渉を特別難しいものにしてきました。
 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の1990年以来の累次にわたる評価報告書では、気温上昇や海面上昇、異常気象の多発、生態系への深刻な影響などが明らかにされ、UNFCCC(国連気候変動枠組み条約)に規定する気候安定化の究極目標が、科学的に表現すれば”産業革命以前に比べて地球の平均気温の上昇を2℃以内に抑えること”であるとされました。これがパリ協定に盛り込まれて、いまや世界の共通認識になりました。
 各国政府は低炭素化・脱炭素化を掲げて、省エネ機器の普及と再生可能エネルギーの導入を促進してきました。省エネ対策のメニューには、発電所の発電効率の向上もあれば、工場の製造装置の省エネ、建築物の断熱性能の向上、家電製品の省エネ化、身近なところでは、消費電力の見える化まであります。化石エネルギーの供給を石炭から天然ガスに切り替えることも低炭素化の重要なメニューですが、エネルギー自給率が低いうえにエネルギー消費大国である日本では、エネルギー安全保障の観点からやすやすと転換できないという難しさがあります。
 フランスや日本のように原子力開発を低炭素化の柱に据えてきた国もありますが、福島第一原発事故によって安全性への国民の信頼回復が第一の課題です。加えて、高速増殖炉の実用化の目途が立たないためにプルトニウムが消費できず、核燃料サイクルが当面は実現できそうにありません。再生可能エネルギーの導入にしても多くの問題があります。風力開発と地熱開発は自然環境への影響が無視できません。環境影響評価(環境アセスメント)は多くの場合は環境と開発の調整役を務めますが、温暖化対策である再生可能エネルギー導入事業の環境アセスとなると、審査手続の簡素化と審査基準の緩和が求められ、自然環境保全が蔑ろにされかねない状況も出ています。また、お天気任せの風力発電と太陽光発電は、出力が大きく変動する不安定的な電源ですから、導入規模が大きくなれば蓄電・エネルギー形態の転換などのシステムやインフラを整備しなくてはなりません。
 政府はまた国民運動をプレイアップすることにも熱心に取り組んできました。日本の政府は特に国民運動を鼓舞することに熱心で、 クールビズはじめ国民の省エネ意識と行動はかなり進んできています。
 エネルギー工学・機械工学の専門家は、水素利用の促進、電気自動車やプラグインハイブリッド車といった新しい技術の開発と普及を通じて、化石燃料の消費を大幅に削減する道を模索していますが、技術システム全体にわたる展望がないままに、要素技術の開発に向けた明るい夢ばかりが喧伝されるきらいがあります。この数年、”いまこそ水素・燃料電池(FC)の普及を!”と開発者側はいいますが、確か、2000年頃にも政府が旗振りをしてFC自動車が大いにもてはやされました。その後、いつのまにか声が小さくなってしまいましたが、開発が頓挫した理由は説明されませんでした。民間企業が主体であるにせよ、一国の命運にかかわる技術開発には補助金を出すだけでなく、進捗をきちんとウォッチし、管理するための仕組みを政府が用意する必要があります。
 地球システム学的には、森林によるCO2吸収量を増やして地球の炭素循環を自然の状態に戻すというのが理想です。京都議定書に基づく森林吸収の位置づけは補完的なものでしたが、パリ協定では21世紀後半には人為的なGHGの排出と吸収をつりあわせる(実質的に人為的な排出量をゼロにする)ことが目指されているので、吸収は不可欠な対策になりました。植物の光合成による吸収能力だけでは足りないかもしれないので、大規模な石炭火力発電所などから排出されるCO2を大気中でなくて地中または海底に強引に埋め込んでしまうCCS(Carbon Capture and Storage)という技術の実用化が、最近は真剣に検討されるようになりました。
 経済学の専門家は炭素税、排出量取引、FITの導入といった経済的手法を通じて低炭素社会を創造することが重要と主張してきました。日本では炭素税とFITは導入されましたが 、国内の排出量取引を導入するにはGHG排出量に関する規制がまず前提として必要になりますから、政府の規制を嫌い発言力が強い業界が一貫して反対を続けてきました。
 環境保全に熱心な市民はマイバッグ、マイカップ、マイ箸を一時期ブームにしましたし、日々の生活の中でのあの手この手の省エネ行動を提案し、実践します。どさくさまぎれの議論もあります。カーボンオフセットはまだしも、マーケティング概念であるLOHASやSlow Foodまで温暖化対策の一翼を担うかのように受け止める向きもありました。
 このように温暖化対策を巡る議論の切り口は実に多種多様で、一つ一つの対策メニューの効果と課題を正しく理解することが難しくなっています。しかしとにかく、温暖化対策のあり方に関する世界の議論は現在までにかなりパターン化されているように思えます。いわば、温暖化対策を論議する際の”流儀と作法”といったものが、政府にも、企業にも、国民にもマスコミにも定着してきています。
 ところが、世界のGHG排出量は一向に減る気配を見せませんし、日本の排出量にしてもリーマンショックで経済不況に陥った2009年を除けば、基準年(概ね1990年レベル)の水準を下回ったことはありません。突き詰めていえば、一挙にGHG排出を削減することが持続可能な開発を阻害することになると考える指導者が多いために実施可能な対策は限られているのです。逆に言えば、上に掲げた非常に多岐にわたる温暖化対策にしても、結局は社会・経済的に著しい支障がない範囲でのみ実施されているわけです。
 ですから、温暖化対策の議論は、社会的にも経済的にも実施できる対策と、いまは超えられない未実施の対策との境界線を動かすことにあります。そのために、革新的な技術開発への期待がかかり、専門家が唱える経済的手法にも期待がかるわけです。また、GHG削減の義務を先進国だけでなくて途上国、とりわけ新興国に広げることが不可欠です。しかも、冒頭に申し上げた国際交渉の基本ルールの枠内で、どうやって途上国の努力を引き出すかがポイントになってきたわけです。そこで、途上国への資金的・技術的な支援の強化が重要になります。
 これ以外にも温暖化対策のスコープは拡大しています。緩和策(吸収を含めたGHG排出削減)と並行して温暖化への適応の重要性が、IPCCの第4次報告(2007年)以降、クローズアップされてきました。さらには、地球のアルベド(地球が太陽から降り注ぐエネルギーを宇宙空間に跳ね返す比率)を人為的に高めてみてはどうかといった極端な方法も囁かれているようです。

UNFCCCの発効までは政治リードで迅速に

 1980年代半ばに人為活動によって地球の温暖化が生じる可能性が指摘された当初、私たちはひたすら専門家の説明を聞いて地球温暖化の科学的メカニズムを学ぶばかりでした。 1990年代に入ると、温暖化への「対応」の議論が始まりました。最初は政治主導で世界の対応が一挙に進みました。1988年にIPCCが発足し、1990年に第一次評価報告書がだされました。1990年の国連総会では条約交渉を開始する国連決議がなされ、1992年5月にはUNFCCCが採択されました。翌1992年6月にリオデジャネイロで開催された、国際環境政治のクライマックスともいえる「地球サミット」の場で、条約は署名のために開放されました。その2年後の1994年にはFCCCは発効しました。全球的な環境条約としてはとても速やかな発効でした。当時の世界各国が温暖化問題の重大性を強く感じていたことがわかります。

GHG削減の具体化段階で停滞する国際交渉と国内の議論

 しかし、温暖化への対応を具体的にどう進めるかという段階になると、国際交渉は難航し始めます。1997年の京都議定書の採択までのプロセスも困難なものでした。京都議定書は日本で決着がついた数少ない国際環境協約ですから、日本では長らく語り草になってきていていくつもの書物で詳しく紹介されてきました。しかし、京都議定書が採択されたのちに、詳細な運用ルールがマラケシュで開催されたCOP7で決定されるまでに4年を要しました。それほど、各国の国益に関わるデリケートな課題を抱えていたわけです。ところがマラケシュ合意以前に、途上国が参加しないことと自国の経済へのマイナス影響を懸念して米国が離脱したため、京都議定書の発効が一時危ぶまれました。
 幸いにも、”第一約束期間(2008-2012年の5年間)に限って”という条件付きでロシアが批准したことで、ようやく2005年に京都議定書は発効しました。しかし、先進国の第一約束期間の排出量を基準年比で5%強削減するとした京都議定書の政策的な効果は著しく低下することになりました。
 1997年の京都議定書の採択から2012年度まで、日本の大学の温暖化の講義では、温暖化の科学的メカニズムの解説、京都議定書の仕組み(とりわけ京都メカニズムの仕組み)の説明、エネルギー工学的なCO2削減の技術の説明、LCA(Life Cycle Assessment)手法を用いたCO2削減効果の定量的な算定方法の解説などが多く、国際政治学の視点からの温暖化問題の構図はあまり深く語られませんでした。マスコミ報道も世界の流れを追随するだけでかなり表層的なものでした。この当時おわが国の温暖化対策論は、全体像を見失い訓詁学に陥っていたように思います。わが国の政府にしても、京都議定書の採択に議長国としての役割は果たしたものの、それ以降はついぞ温暖化対策交渉の場で目立った指導力を発揮することがありませんでした。わが国は温暖化対策に熱心な国とは思われていません。毎年のCOP開催期間中に、環境NGOから”化石賞”を授与されたこともしばしばでした。

京都議定書の第一約束期間目標はどう達成されたか

 京都議定書が発効してから、わが国では地球温暖化対策推進法に基づく「京都議定書目標達成計画」が策定されました。この時期、政策的には日本の削減目標-6%をどのようにして実現するかという数値の辻褄合わせの議論が盛んになってきました。科学的な議論や政治的な議論が後退して、官僚的な議論が突出してきた時期だといえます。第一約束期間が終わり、日本はルール上は-6%という目標を上回る削減を果たしました。その内実は、京都メカニズムのクレジットで5.9%を賄い、森林吸収分3.9%とあわせて、わが国の第一約束期間のGHG排出量は基準年に比べて8.4%も削減されたことになっています。しかし、国内の排出量は実は1.4%増加しているという、奇妙なマジックが演じられています。今世紀に入ってからは、GDP当たりでみても人口一人当たりでみても日本の低炭素化は進んでいません。そうした中で、日本経団連は、”乾いた雑巾”論を展開し、京都議定書は”不平等条約”と訴え、”セクトラルアプローチ”こそ地球的に公平なGHG(温室効果ガス)排出削減の割り当て方法だと主張してきました。
 一方、政府の働き掛けもあり、京都議定書が発効した頃の一時期、クールビズを始めとするエコブームが日本の環境論の中で元気になりました。また、不思議なことに、2007年のIPCCの第4次報告が公表され、”人為活動によって温暖化が進行していることはほぼ間違いない”との判断が示された直後から、”地球温暖化懐疑論”を唱える書籍が多く出版され、大学周辺の書店では懐疑論の図書が平積みされるほどの大人気になりました。温暖化研究の主流派と懐疑論者との間で、アカデミアの世界とは思えないほど髪を振り乱しての熾烈な応酬合戦が繰り広げられました。同じ時期に第一次安倍政権下で、「21世紀環境立国戦略」(2007年)が打ち上げられ、同年のG8サミットでの合意に呼応する形で、2050年までに世界のGHG排出量の半減を掲げました。翌2008年の洞爺湖サミットでは先進国が差異のある責任論を踏まえて、2050年までに60-80%削減する旨の合意ができました。その直後に福田政権は「低炭素社会づくり行動計画」をまとめていますが、この中では産業界が主張してきたセクトラルアプローチを唱導しています。余談ですが、白色電球の省エネランプへの切り替えに一節を割いています。そこでは電球型蛍光ランプの普及を謳っていてLEDの文字はみえません。隔世の感があります。これらはポスト京都(京都議定書の第一約束期間後の世界のGHG削減の枠組)の交渉に向けた国際政治の一連の動きに連動したもので、日本もエールを送っているように見えました。しかし同時に、不平等な削減割り当てを強いられた京都議定書の轍を踏まないための準備も水面下で進められていました。

東日本大震災以降の日本の温暖化対策の空白

 京都議定書が発効して以降、締約国会議(COP)では2020年までの世界の温暖化対策の枠組や削減目標をどうすべきかの議論が本格的に始まりました。2010年には、法的拘束力をもつまでには至りませんでしたが、途上国も自主的な目標を掲げて参加するという、新たな合意(カンクン合意)ができました。遡りますが、2020年目標に関する国内の議論はといえば、2009年6月に麻生政権下で2005年比で15%削減とすることが決まりました。その直後に民主党政権が誕生し、鳩山総理は1990年比で25%GHGを削減することを同年9月の国連総会の場で世界に表明しました。ところが同じ年に日本は京都議定書の第二約束期間に参加しないことを表明し、カンクン合意の枠組のなかでGHG削減を進める方針を決めています。京都議定書の桎梏から逃れる日本の作戦が成就したのはこの時点です。
 その翌年の2011年3月、東日本大震災に伴なう福島第一原発事故よって、日本の温暖化政策は根底から崩壊することになりました。日本の温暖化対策の屋台骨は京都議定書採択前から、一貫して電源構成における原発比率の向上にありました。震災後の全国の原発の運転停止で、日本のエネルギー政策は大きな転換を迫られました。マスコミも政権の中枢も、温暖化対策の議論を二の次にせざるを得なくなりました。そうこうしている間に2013年3月(日本の2012年会計年度末日)には日本に対する京都議定書の第一約束期間が終了しました。これ以降、日本の温暖化対策は、国内的にも国際的にも空白の時間を過ごすことになりました。
 2013年早々に第二次安倍政権は、鳩山政権が世界に公言した25%削減を、ゼロベースで見直すとし、福島第一原発事故を踏まえたエネルギー基本計画の改定が完了するまでGHG削減目標は設定されないことになりました。ただ、2005年比で2020年排出量を3.8%削減するという暫定目標(原発稼働による削減効果を含めない現時点での目標として)を2013年に設定し、同年にワルシャワで開かれたCOP19の場で環境大臣が2020年目標を3.8%にする旨を表明しました。東日本大震災以降、日本のマスコミの温暖化報道は低迷し、京都議定書の第二約束期間への不参加や、2020年目標の未設定についても、さして問題にしませんでした。
 日本の温暖化対策の空白期間に終止符を打ったのは、パリ協定の下における日本の約束草案の実施を国内的に担保するため、改正された地球温暖化対策推進法に基づいて、2016年5月に「地球温暖化対策計画」がようやく策定されたときでした。2030年のGHG排出量を2013年比で26%削減することが記され、国際的にそん色のないものだと日本の政府は胸を張りました。そして、この対策計画の中に2020年目標を2005年比3.8%削減とすることもさりげなく記されています。この2030年目標(-26%)の実現は容易なことではありません。そして、そのための社会改革の具体的シナリオを政府はまだ描き切れていません。

パリ協定の採択・発効とトランプ次期大統領

 2016年のいま、京都議定書の第二約束期間にむけてEU諸国はGHGの削減努力を続けていますが、日本では京都議定書が話題に上ることはもうなくなりました。代わって頻繁に報道されているのがパリ協定です。昨年12月12日(これを書いている今日はその一歳の誕生日です)にパリ協定が採択され、日本が批准手続きを了する前に、今年11月4日発効しました。2020年以降の温暖化対策の包括的な国際枠組を定めたこの協定は、2025~2030年までの中期的なGHG削減目標の設定をはるかに超えたものになっています。目的規定には「世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃ より十分 低く保つととも に、1.5 ℃に抑える努力を追求し、適応能力を向上させること」を掲げ、排出削減の取組については「今世紀後半に人為的な温室効果ガスの排出と吸収源による除去の均衡を達成すること」を明記しています。締約国のGHG削減計画をローリングして長期的で永続的な仕組みを備えたことも画期的なことです。そのパリ協定が、先進国・途上国を問わずすべての国々の参加のもとにいま船出しようとしています。
 ところがその発効からわずか4日後の2016年11月8日に行われた米国大統領選挙で、大方の予想を覆してトランプ氏が次期大統領に当選し、世界の秩序に大混乱を招くのではないかとの懸念が広まっています。トランプ氏は”温暖化は中国のでっち上げ”と発言したこともある人物です(2016年11月9日毎日新聞報道)。温暖化懐疑論者であるのか、不都合な真実からの逃避作戦が本命なのかはまだわかりませんが、ともかく、世界の温暖化対策への道筋は、京都議定書を骨抜きにした米国によって、いまふたたび掻き曇りつつあります。しかし、トランプ氏の主張は世界の基幹産業の指導者たちの多くが共鳴できるものなのかもしれません。「温暖化対策は正義の戦いだ!」といい続ける環境至上主義の論者もたくさんいますが、厳然として経済的な利益を軸に温暖化問題への対応を判断する温暖化問題嫌いの人々も大勢いて、しかも後者が政治に対してより大きな影響力をもっているように思えます。

地球温暖化問題にみる環境保全と持続可能性の隙間

 そもそも、温暖化問題が環境問題であると思い込もうとすることには無理があります。1992年の地球サミット以来、持続可能な開発と環境保全の希求は矛盾なく両立する、あるいはパラレルに進むものだと言い続けてきた環境保全のための論陣も、こと温暖化に関しては当てはまらないのではないかと思えます。フィラハ会議からパリ協定の発効までの30年間に、世界が温暖化対策の議論に投入してきた時間と労力と知恵は、ナイーブな環境保全論を鍛えるという意味では無駄なことではなかったと思います。
 しかし、新自由経済主義と技術中心主義に席巻された現代の世界の中で培われ、パターン化されてきた温暖化問題を論じる流儀に通底する、環境と経済の関係についての一般的な通念は、水俣病問題を引き起こした60年前のそれといつの間にか類似したものになっているのではないかと不安に思います。
 パリ協定は発効しましたが、途上国支援のための資金協力のおよそ3割を担う米国が離反する危険をはらみ、世界の求心力は保持されるかどうかの不安もあります。現時点での各国の約束草案を束ねても、今世紀中の気候安定化に向けたGHG排出量のトラジェクトリー(軌道)には乗らないと見られています。果敢な目標を掲げたとされる日本の約束草案(すなわち「温暖化対策計画」)の実現可能性にも不透明な点が多々あります。26%削減という2030年目標を達成するには、家庭部門と業務部門において約40%ものCO2排出の削減を必要とされています。対して産業部門は6.5%の削減にとどめています。産業構造の大幅な変化を織り込んでいないということです。社会構造の変革シナリオも計画からは見えません。民生(業務、家庭)部門の排出量には電力消費に伴う間接排出量が含まれますから、40%の削減可能性は発電所の発電原単位が大きく作用します。これについて電気事業者側は、2013年度の(一般電気事業者10社の平均)発電原単位0.57㎏/kWhを2030年までに35%改善して0.37㎏/kWhにすると説明しています。ちなみにこの値は原発稼働率がわが国の歴史上最大の84.2%を達成した1998年のレベル0.354に匹敵するものです。これを前提にしても民生部門の削減目標は厳しいものです。
 このように、2030年目標だけでも険しい道ですが、その先にある”2050年までに80%削減を目指す”とする長期目標にはどのようなパスを通れば到達可能なのか現在はまったく見とおせません。

愛猫レオ(6歳♂)