環境政策科学研究の紹介 ―環境のレジームとジレンマ―

環境問題のレジーム

 環境問題はそれぞれのレジームをもっています。レジームとは関係者が合意した問題解決のための原則や規範、あるいは政策決定のプロセスの体系のことです。
 環境問題は人間活動の結果生じる歪ですが、それは人間の自然的なメカニズムに対する無知や慎重さの欠如のほか、人間の豊かさや利便性の向上への欲望の強さに引き比べて、対策技術が未熟であったり、十分な対策費用を支払うことを怠るために生まれます。環境問題の発生メカニズムは問題によってかなり異なりますから、それを解決するための技術的な方法と、関係者の範囲や関係者の負担の重さも異なったものになります。問題の発生と制御を巡る個人や団体、組織、国家間の利害対立の構造や、関連する科学的知見の確かさ、対策技術の利用可能性によって、問題解決の難易度が変わってきます。こうした要素がレジームを決定します。レジームは時とともに変化していきます。(参考:インタビュー記事
 わが国の環境問題の歴史は1956年の水俣病の公式発見から始まります。水俣病を含めて1950年代~60年代の激甚な産業公害は、70年代には比較的速やかに解消されました。しかし、半世紀以上を経た今も水俣病被害者の救済問題は完全な解決を見ていません。政策の初期始動の失敗が健康被害の補償問題を重いものにしています。水俣病の補償問題には特別の事情がありましたが、アスベストによる健康被害もカネミ油症問題にしても、健康被害をもたらせば加害者にとっても行政にとっても補償は非常に重い問題になります。豊かさを増しようやく環境重視に舵を切り始めた中国では環境汚染そのものは早晩改善されるでしょう。しかし、長く尾を引くのはむしろ補償問題であろうと思われます。”補償問題を巡るレジーム”という視点があり得ます。
 世界の国々の環境政策への意欲は、1972年の国連人間環境会議(ストックホルム会議)を契機に急速に高まりましたが、当初から南北世界の間には環境問題の認識に深い対立がありました。地球規模の環境問題が現実のものになり、国連外交における重要な政治アジェンダになったのは1980年代後半からのことです。そして、1992年の地球サミット(リオサミット)で「持続可能な開発」の理念が樹立され、各国の利害を超えて、全球的な協調と協力が求められてきました。しかし、各国間の利害の対立はいっそう複雑になりました。しかも、世界と経済発展の態様や技術開発の推移によって、対立構造は変化していくでしょう。こうした世界の変化が日本国内の環境論にも強い影響をもってきます。地球環境問題の対策を論じるときにも、ひとつひとつの地球環境問題について形成されているレジームを俯瞰しておく必要があります。
 
環境保全のジレンマ
 環境保全を巡る議論は持続可能な社会の実現に向けた議論と一体化していますから、内外の社会・経済・資源と技術の動向によって大きく揺れ動きます。かつての公害問題を引き起こした経済優先の政策が再来することはあり得ませんが、”かけがえのない環境を大切にしよう”のひとことで環境対策が円滑に進むものではありません。
 わが国はもっとも省エネ技術の普及が進んだ国で、国民を挙げて省エネと新エネ導入に熱心だと思われていますが、温室効果ガス(GHG)の国内の排出量は1990年以来、一向に減少していません。東日本大震災に伴う福島第一原発の事故以降、エネルギー政策が揺らいでいて、新たな温暖化対策は見えてきません。温暖化対策はエネルギー対策の上にのった子ガメか孫ガメ的な位置づけであったことを私たちは思い知らされます。また、新興国のGHG排出量が大幅に増加していて、気候変動枠組条約と京都議定書に基づくGHG削減の努力を相当程度むなしいものにしています。これまではGHG削減(緩和策)の議論が中心でしたが、最近とみに世界中で適応策についての議論が盛んに行われるようになりました。温暖化に歯止めがかからないであろうことがはっきりしてきたからです。わが国でも適応策の論議が隆盛になっています。それが単に温暖化からの国土と産業・生活の保全だけに向けられたものでなくて、国際環境ビジネスの芽になることが期待されているように思います。
 クジラ、ウナギ、マグロといった海洋生物資源の保護と利用を巡っては、国民の食文化が強く作用して、国際交渉において日本が少数派に属することもしばしばです。最近は日本の外交交渉にも変化が見られます。持続可能な捕獲量(sustainable catch)についての論議は19世紀から行われ、持続可能性のもっとも古い議論とされてきましたが、いまだに国際的な合意をはかるだけの十分な科学的データが整っていないということです。
 わが国の資源循環政策は、廃棄物処理の行き詰まりという現実的な問題を強い動機として2000年に本格的にスタートしました。相前後して資源の種類ごとに循環を促進する多くの法令が整備されました。しかし、実際に循環利用を進めてみると、エネルギー的に得策ではない、コストの上昇が著しい、回収された紙やプラスチック資源が中国に輸出されて国内での循環が行われないといった様々な問題が発生しています。日本の環境政策では”環境と経済の好循環を目指して”と、しばしば謳われますが、それは一筋縄ではいきません。環境保全の促進という衣をかぶった「エコ・・・」と呼ばれる経済活性化策が、しばしば国民の関心を呼んでいます。しかし、それが果たして環境負荷の削減に効果があるかどうか、真偽のほどをしっかりと見極めなければなりません。
 いま私たちが直面している(あるいは残された)問題は、単発の(低コストの)技術的手法では解決できない問題ばかりです。ここに“環境保全のジレンマ”があります。環境政策がこれまで辿ってきた軌跡を紐解いてみると、環境対策のジレンマを切実に感じ、環境保全というものの宿命的な姿が見えてくるように思えます。レジームを読み取りながら、この環境保全のジレンマに対峙していかなければ、今後の有効な環境保全戦略は描けません。
 
環境問題への気づき
 奇をてらったような言い方ですが、「気づくまでは環境問題ではない」のです。人間社会は多くの環境問題を経験してきましたが、水俣病から地球温暖化までおおかたそうです。ただし、水俣病のように被害に直面してから初めて問題に気づいて対策が検討される場合と、オゾン層破壊のように科学的な知見に基づいて問題の発生が予見されて対策が検討される場合があります。また、環境科学の進歩によって身の回りに起こっている問題に気づくケースもあります。例えば、測定技術が進歩し、微量な有機塩素化合物が定量分析できるようになってから、初めてダイオキシンの有害性を評価することが可能になりました。
環境対策実施までのプロセス
 さまざまな種類の環境問題があり、人間社会への影響の緊急性が違います。問題が発生する科学的なメカニズムの確かさも異なりますし、対策に要する社会的な負担や技術も異なります。そのため、気づいてもただちに有効な対策がとられるとは限りません。環境問題への対策が講じられるまでには、関係者がいくつもの困難な交渉を重ねながらステップを踏まなくてはなりません。それを模式的に示すと下の図のようになります。
 ある環境問題はいとも簡単に解決されるのに、別の問題はテコでも動きません。それが何によるものなのか考えていくと、個別の問題に関するレジームが見えてきます。
技術的ブレークスルーへの依存
 解決が容易な環境問題は、経済的な負担が少なく、対策技術が用意できるものです。逆に考えれば、低コストの対策技術がひろく利用可能になるまでは解決が難しいわけです。人間社会が豊かさや便利さを放棄して、環境問題を解決した例はあまり見当たりません。典型的な例は地球温暖化問題です。四半世紀にわたって喧々諤々の議論が行われてきましたが、世界の温室効果ガス(GHG)の排出量を半減させる(気温上昇を産業革命以前に比して2℃程度に抑制するためには、2050年までに世界のGHGの排出総量を半減させる必要であるとの認識で、2008年前後にG8サミットで合意されています。)ことができるエネルギー利用技術は見えていません。温暖化対策については複雑な議論が交わされていますが、温暖化対策が実現している世界のビジョンを示すことは簡単です。要すれば”化石エネルギー消費量を現在の半分にすること”(森林の破壊を食い止めることも必要ですが。)なのです。しかし、経済成長を低下させずに半減させる技術がないとなると、削減の痛みを国別・セクター別にどう配分するかの議論になります。ですからどの国も交渉力を発揮してできるだけ強く抵抗し、自国の経済的な利益を守ろうとするわけです。2015年のパリでのCOP21の交渉の結果、どのようなレジームが形成されるのかが注目されているわけです。地球温暖化に限らず、現在私たちがやり残している(まだ処理できていない)環境問題は、これまでに解決してきた問題とは性格がかなり違っていて、技術的な対応のシナリオが描けない問題なのだと考えればおおよそ当たっています。
日本における環境と経済の関係性
 わが国の環境政策に固有の経験や固有の制度もたくさんありますが、世界の環境保全の理念の発達や環境条約による規範づくりなどとも密接な関係をもっています。こうした歴史的な推移の中で、環境と経済発展をどう調整するかという難しい命題があります。環境と経済との関係性に着目して、日本の環境政策の流れを描いてみると下の図のようになります。公害にすっかり懲りた1970年に、環境保全は頑ななまでに経済と絶縁しました。その後、環境基本法(1993年)が制定され、環境保全の目標が持続可能な発展に置かれてからは、環境と経済の融合が求められるようになりました。しかし、環境保全と経済発展のバランスの図り方については、政治家、専門家、市民、ジャーナリストなどに共通の認識があるとは思えません。一皮むけば、温暖化対策への思い入れは各人各様でしょう。つまり(温暖化懐疑論は別にしても)同床異夢なのです。そして、短期的な経済的ダメージを避ける政策が選択されますから、環境が相対的に軽視される傾向が続いています。また、わが国では環境を所管する行政機関が、重要な政策に関する意思決定から外れた位置に置かれていることにも問題があります。例えば、省エネ推進制度にしても、環境影響評価制度にしてもそうなのです。これもわが国の環境政策に関するレジームの姿です。一国の環境保全を統合的に発展させるための行政組織のあり方もレジーム論の立場からは重要な課題なのです。
 以上みてきたように、環境政策科学研究では、環境政策の流れを歴史的視点、制度的視点、技術的視点で追跡しながら分析していきます。そこからレジームを正しく読み解き、これからの新しい政策のあり方を考えていきます。それは、より望ましいレジームへの変革を考えることでもあるのです。